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みなかみ’s blog

忘備録と整理のために

ジョセフ・S・ナイ 『国際紛争第8版』読み始めました

メモがてら。

 現在、非国家主体が主権国家と同等の「破壊力」を有するようになったとナイは記述する。主権国家が保有する破壊力というのは、「軍事力」のことであるけど、非国家主体の「破壊力」については第一章において明記されてない。だが、技術進歩によるコミュニケーションコストの大幅な低下についての記述がなされていることから、「情報」が武器であり、情報の社会的影響が「破壊力」なんだろうなと。

 今の国際社会の構造は「無政府システム(アナーキーなシステム)」。何故なら、主権国家よりも上位の機関なり支配者が存在しないから。国内政治における正統性を持った機関―それは政府で、政府はある程度一貫性と正統性のある国内法を持っている上に、検察や警察力と言った法執行機関を持っている。法執行機関と法は政府によって保持されていて、その力を行使できるのは国家のみ。国家はこれらの暴力装置を独占している。一方国際社会では、国際法は存在するけど万国に適用できるわけでもないし、諸国家に行使できる武力が存在してない(国連軍があるだろって指摘があるかもしれないけど、警察みたいに常に存在してるわけでもないし、常にその力を行使できるわけでもない)。故に、各国家が最上位で、自由に活動できるし、その力を行使できる。故にアナーキー

 このシステムは30年戦争終結時のために締結された1648年のウェストファリア条約で、主権国家が国際社会における「最上位の」Actorであると公式化されたことに起因。故にこの無政府システムは「ウェストファリア・システム」とも呼称される。

 諸国家を統制する上位組織がないから、諸国家は基本的に自分の身を自分で守る―自助が基本となる。故にいつ自分の国が妥当される可能性が存在しているから、相互不信や相互恐怖に陥りやすい。このような状況を、トマス・ホッブズは「自然状態」と呼称し、「万人による万人の戦い」という言葉で表現した。ホッブズ的な状況は、とても過酷な状況が想定されてて、いつ、どこで、どの国が消えてもおかしくないような状況を想定してる。

 この自然状態の過酷さに関する想定度合いによって二つの学派ができた。「リベラリズム(理想主義)」と「リアリズム(現実主義)」。

この二派の間にはどのような違いがあるのか。(今度書く)