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みなかみ’s blog

忘備録と整理のために

「努力しなさい」と「頑張れ」という言葉ってむごくない?

 なんか変なことを書いてるよ…って思われると思うんですが、「努力」「頑張れ」という言葉から最近むごさを感じるんでよね。

 僕自身、人から相談を受けることが多々ありまして、大体が「物事がうまくいかないんだけどどうしたらいいのか」という内容なんです。その都度、相談者を取り巻く状況だったりそのひとがどんなふうにメンタルダウンの無限ループに落ちいっているのかを把握して、それに対する対応策を提案するわけです。それを受容するかは相談者の判断に任せるという前提を相談者の意識に配置したうえで。

 

 それで、込み入った話が終わった瞬間、毎回無意識的に「なんとかするための努力は大変だけど頑張れよ」みたいな文言をつけちゃうんですよ。意図としては相談者のメンタル回復にブーストをかけようと思って。

 で、大体「元気出た!」「心が軽くなった!」って感じで満足して相談者は帰るんですが、最近この「努力」「頑張り」という言葉に違和感を感じるんです。

 

違和感の発端は、自分自身に感情の波が来ているときに、「まあ、もっと努力していけばなんとかなるだろう。頑張ろう!」って感じで自分を鼓舞した時です。

 この言葉が全く自分の心に響かないわけです。しかも行為の過程でこの言葉が逆に重荷になることが殆どなんです。

 じゃあなんで重荷になってるんだろうと考えると、「頑張る・努力するという言葉は。含意される行為のイメージが不明確な上に、相手に対して際限のない前進を要求している。同時に相談者に対して自分が描く未来や期待をある程度強制している」

 というコンテキストが含まれているのではないかと。

 この中でも最もむごいと思うコンテキストが、「相談者に対して自分が描く未来や期待をある程度強制している」という部分です。

 他者は他者です。自分ではない。このコンテキストを換言すると、その他者に対して「こうあればいいではないか」という自分の想定や理想像を他者に投げかけ、「自分の描いたサクセスストーリー通りに動け」という、他者の行動や思考を一方向に強制することに同意させる意図が含意されているのではないでしょうか。

 故に言われた側はものすごく動きにくくなる。そのサクセスストーリーに縛られて、本来自由であった思考や行動を制限してしまう。もしかしたらもっとやりやすいやり方があるかもしれない。あと、頑張らないとその人の期待にそぐうことができないという心的圧迫もかかります。

 この強制感と圧迫感ががものすごくむごいんじゃないかなあって。書きながらそう思いました。

 

 は?という意見もほしいので反論やご意見があればTwitterでもask.fmでもここでもいいので宜しくお願いします。