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みなかみ’s blog

忘備録と整理のために

死にたいなあ、って思ったことについて

 自分が置かれた状況について考えがドツボにはまってしまい、「死にたいなあ」って思うことが時折ある。最近はかなり安定していて、このレベルまで悲観することはほとんどなくなったのだけれど、いつそうなるかはわからないので、まずこの、「死にたいなあ」っていう思考の発現がいつ起こるのかを考えてみる。

 過去に自分が死にたいなあと思ったのは総じて、

「今後自分がどう生きるのか不安で仕方なくなってつらさが蓄積したとき」

「自分の生活態度がずさんで自分に対してイラつきが溜まったとき」

「自分の能力の低さを実感してつらくなったとき」

「目の前のモノがうまくいかず、ストレスが溜まったとき」

「周りとの人間関係がうまくいかずストレスを溜めたとき」

くらいに分類される気がする。今もうまい解決方法を獲得できていないんだけれど、なんとか緩和くらいには持っていきたいと考えている。

 

 まずは、2.3.4について考えてみようと思う。これらに共通することは、「今、うまくいってない」ことに対するイラつきであること。本質的には、「自分の理想の計画・予想と、現実が乖離してしまって、自分に大きな失望感を抱いてしまうこと」なのだと思う。この場合、問題点として考えられるのは、

「理想の計画自体のレベルが高すぎる」

「計画通りに進めることに固執しすぎている」

「自分に求めるレベルが高すぎる」

「目的の達成に固執しすぎて、目的の達成に至るまでの過程を軽視しすぎている。」

このあたりの処方箋としては、このブログの記事がかなり的確ではないかなと。

d.hatena.ne.jp

 大学院の入試までに、自分は指導教官に研究計画書を書いては添削してもらい、真っ赤になって返却されたのだけれど、真っ赤な原稿を見るたびに、言いようのない自分への失望感を抱いたのですが、それを繰り返す中で内容がまとまり、赤ペンの比率が減っていき、指導教官からも「いいね」という反応が増えていったことがかなり印象的な出来事だった。

 この出来事は、いろんなことに通じるのかなあと最近腑に落ちるようになってきた。どんなことも手を出したはじめのうちはうまくいかないけど、非効率でもそれをやっていく中で徐々にレベルが向上するのではないかということ。そのため、最初からうまくいかないことを必要以上に悲観したり、自分を責める材料にする必要性はないんじゃないかなあと。質を上げるには量をひたすらこなす中で、気づきや工夫、そして「腑に落とす」ことがまず大事なんじゃないかなと。結果も大事だけれど、「過程」を重視しても許される今は、ひたすらに「過程」を楽しんでもいいんじゃないかなと。

 だから、「過程」を楽しむことを第一に、やることを進めていけば、ある程度は結果として出力できるのかなあと、最近は考えが変化してきたのは、個人的には良かったと思う。だって、精神的な摩耗がかなり減ったから。

 

5については、いまはまだちょっとわからない。人間関係がうまくいかなかった事例が結構多いから、個々の事例を数点引き抜いて、共通項を検討しようと思う。

1については、親がよく言っている、「そのときにならないとどうにもならない」という、必要以上に未来を考えないという考え方を取り入れていこうかなあと。将来設計は重要なのだけれど、これはあくまで設計なので、必要に応じて改定すればいい話なのかなあと。あとは、どういう変化が発生するかは未知数なので、今は悲観せず、今を生きるほうが建設的なのかなあと。

 

今はこの記事も、このブログも、うまく自分の考えを出力できているとは言えないだろうし、思考のレベルもかなり低いと思う。でも、これも、日々記事を書き連ねる中で、少しずつレベルを上げて行ければなあと、そう思う。

 

心の整理。