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みなかみ’s blog

忘備録と整理のために

硫黄島からの手紙(2006)

父親たちの星条旗 | 硫黄島からの手紙

硫黄島からの手紙 - Wikipedia

movies.yahoo.co.jp

 

 いつだったか、「人間は物事に対して意味を求める」といった言葉を聞いたことがありました。これはまあもっともな話で、人間は自分のやったことに「価値」や「意味」を求めることで、自分の行動を正当化します。こうすることで自分の存在理由と接続し、自分のアイデンティティの確立を図ろうとしているのかもしれません。
 こうしたラベリングは「死」に対してもしばしば行われる営為です。もし親しい人が死んだとき、身近な人々は、その人の死にラベルを施そうとします。そのひとの「人生における行為」を評価したりして、その人の価値を高めることで、その人の「死の価値」
を高めようとしているのだと思います。
 ただし、「死」は本質的には意味を持ちません。そこにあるのはその人が「死んだ」という事実なのです。しかし、「死」を人がまともに受け止めると、心の中での処理ができず、激しい精神的な負担になり得ます。だからこそ、そういう意味でも人は「死」に意味を見出そうとするのでしょう。しかし、この映画は徹頭徹尾、「無意味な死」を観客に突き付けます。

 「硫黄島からの手紙」は2006年、クリント・イーストウッドによって製作された、戦争映画です。戦いの舞台は太平洋戦争における激戦地となった硫黄島。栗林忠道中将率いる日本軍が死守する硫黄島を、米軍が占領しようと試み、大きな損害を出したことで知られています。このころ日本軍はミッドウェー海戦に敗北した後で、南方戦線で米軍の攻勢に耐えられず、守勢に立たされていました。そうしたなか、サイパン島が陥落し、絶対国防圏が突破され、日本列島がB-29の射程圏内に収まる中、東京への爆撃ルートにあった硫黄島の戦略的価値は、日本軍にとっても米軍にとっても高かったのです(B-29爆撃に対する日本軍の早期警戒拠点だった)。その結果、硫黄島に米軍は大軍を引っ提げて占領しようと試みます。

 ここまで書いてて、硫黄島の戦いは絶望的なものだったのではないかと思う方も多いと思います。もちろん絶望的です。物資・兵器が不足した日本軍2万と、物資が豊富で火力支援も期待できる米軍約11万という圧倒的戦力差がここにはありました。
ランチェスターで防御側を有利に倒すのに必要な戦力は3倍と言われていますが、このときの量的差は1:5、しかも日本軍は質的不利も背負い、戦いに身を投げうつことを強いられることになります。全体の戦況も絶望的な中で、展開されるこの戦いに意味はあったのでしょうか。緒論あるとは思うのですが、本土防衛が絶望的になりつつある中で、敗北がほぼ決定的な戦いを行うことは、無意味でしょう。
 そう、この戦いに身を投じる兵士の死は無意味にも取れてしまうのです。そのうえ、戦いのなかで敵と直接交戦することもなく死ぬ兵士、上官の無茶な命令で倒れる兵士、戦略として無意味な死、様々な無意味な死、こうした、「無意味な死」を徹底的にこの映画は突き付けて来ます。

 今でも自分は出不精で、映画館に足を運んだりあまりしないのですが、中学生だった当時の自分は映画のポスターの美しさや、直感的に「この映画は面白いぞ」と感じたために、親に懇願して1時間20分かけて親に映画館に連れて行ってもらい、鑑賞したという思い入れのある映画でもあります。そして、あまり映画で泣いたりしないのですが、この映画では「無意味な死」というのを突き付けられた結果でしょうか、ボロボロ泣いてしまい、途中で一時的に見ることができなくなりました。
 特に、主人公の同僚が主人公の説得の結果降伏を決意し、アメリカ兵に降伏したものの、「捕虜管理がめんどくさい」という個人的感情で射殺されるシーンがありました。当時の自分は、「あんなに悩んだ結果降伏したのに、なんでこんなにぞんざいに命が扱われてしまうんだ」という感情が渦巻き、耐えられなくなりました。このように、「無意味な死」、「意味づけできない死」が蔓延する戦場を、この映画は泥臭く描き出しています。

 

 他にも、栗林中将の兵士に対する感情や苦悩、戦闘シーンの壮大さといった見るべきところはたくさんあるのですが、ここではそれは取り扱わないことにします。
「無意味な死」から感じられる無常さややるせなさで、気分を落ち込ませたい方はぜひこの映画を見てほしいなと。